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【司馬晋】しばしん
 場所としては河内郡辺りで曹魏のど真ん中、司馬懿[179-]など、姓が「司馬」という人ばかりが住んでいる地味なエリア、というかエリアと言うよりはバチカン市国やモナコより規模が小さく、東京ドーム4個分ぐらいで、ショッピングセンターよりはでかい。ちなみに犬は柴犬ばかりである。
後に曹操が曹魏の一部として取り込むが、司馬晋は自治区としてのプライドを貫徹し、ゴミ処理などは独自で開発した高性能大竈によって行うため、無駄な分別をしなくてもよく、他の地域から羨ましがられている。
 この狭いエリアが大陸を統一出来る能力がある事はまだ誰も知らない。
「司馬フラワーフェスタ」「大司馬花火大会」「司馬女装カーニバル」など、
結構開催されるイベントは独特で派手であり、中原マスコミの注目を集める。
司馬懿 【司馬晋・人物/司馬懿シバイ[179-]】
字:仲達

 司馬8人兄弟の次男。あの諸葛亮が、「彼と同じ塾で学んだ事がある」と言っているが本人は断固否定。加えて「実は彼は女装が趣味」とも言っているが、それも断固否定。しかし彼の家には沢山の証拠物件があるにも関わらず「妻と娘のだ」とか言って断固否定。しかし奥さんの箪笥は別の部屋である。
 曹操の時代に曹魏の役人に取りたてられ、張魯討伐などで功績を上げる。しかし彼が本領を発揮するのは五丈原以降のような気がする。