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【孫呉】そんご
 孫堅[156-]が中心になって江東辺り一帯で統治する臨海地域。
 後に彼の長男と次男『孫家伯仲』(孫策と孫権)が遺志を受け継ぎ、
 江水に沿った挑戦的な改革で肥沃な土地を作り上げる。
 流行発進の最先端地であるため他地域から入って来る若者達が
 後を絶たないが、最近では逆に孫呉のオヤジ達が劉げに浪漫を求めて
 流れて行く現象も起こっており、新しい社会問題となっている。
陸遜 【孫呉・人物/陸遜リクソン[183-]】
字:伯言

 もとは江東地域の豪族。孫呉の役人になってから開墾のプロ・屯田校尉として各地で活躍。
 途中、赴任した地で九匹の龍を退治し民を助け、龍の霊魂から不老の顔と身体を手に入れる。
 後に呂蒙に推薦され偏将軍・右都督となり戦の面でも実績を挙げる。
 物静かな風に見えるが実は武術マニアで拳法の達人なので、見た目よりも中身はゴリい。
周瑜 【孫呉・人物/周瑜シュウユ[175-]】
字:公瑾
 元は廬江郡の名家出身。9歳位の頃孫家が隣の家に越して来た時近所づきあいを始め、孫策とはその頃からの幼馴染。
 孫家とは味噌・塩・醤油・焼肉プレート・炊飯ジャー・漫画『聖闘士●矢』まで貸し合う仲であったが、『ハイ●クール!奇面組』8巻をまだ孫策から返してもらっていない。
 海水浴が得意で孫兄弟と海へ泳ぎに行く事が多いが、先に岸に上がった孫策に自分の褌を間違えて履き逃げされる事も多い。
 たまに自分で自分の事を「私が美周郎だ」と言ってしまう事がある。
孫策 【孫呉・人物/孫策ソンサク[175-]】
字:伯符
 孫堅の長男で、竹を割ったような性格。
 細かい事はあまり深く考えない性分が幸いし、後に揚州一帯に勢力を広げる。
 弟孫権周瑜太史慈らとスポーツ大会に出場する事が趣味で、数々のタイトルを獲得。最近のマイブームはカバティとモンゴル相撲。
 「食う・寝る・遊ぶ」を体現したようなキャラクターで、行った先では常にうまいものを買い求め、川を見つければ飛び込み、川岸に上がれば周瑜の褌を間違えて履いて帰る。
孫堅 【孫呉・人物/孫権ソンケン[182-]】
字:仲謀
 孫堅の次男で、孫策の弟。何故か碧い目に茶パツ・しかも紫のラメ入りというお仏蘭西人形の井出達で誕生した為、欧羅巴かぶれな母親呉夫人大喜び、末っ子の長女孫夫人(孫仁)が生まれるまで女のコの衣装を着せられて育つ。実は今でもその過去がコンプレックス。
 顔立ちはすげえ派手だが優しく動物ダイスキな大人しい性格で、大きくなったら「ケンゴロウの動物王国」とか胡散臭い動物園でも作りたいなとか地味に思ってたら、兄孫策が『天下取りに行くぜ』とかアレな事を言い出したので、何となくついていく羽目になる。
 孫策亡き後泣く泣く孫呉のTOPに擁立されるが、淋しさを紛らす為に酒を覚えたら酒豪になってしまった。
孫堅 【孫呉・人物/孫堅ソンケン[156-]】
字:文台
 孫策・孫堅・孫仁をはじめとする孫家の親父。全然余談だが、中国遼寧省に「孫家湾層群」(すんちゃわんそうぐん)という場所があるが、そこと孫家の関連は不明。
 172年、17歳の時に銭塘江で海賊数十人を蹴散らして以来、海を舞台にブイブイいわせて名を上げた人呼んで江東の虎。董卓の暴政の頃、曹操のゲキに便乗して反董卓連合に参加し洛陽一番乗りを果たし、井戸の中から皇帝の印「玉璽」をゲットしたのは有名。三国志正史だとあの華雄を倒したのは関羽じゃなくてこの孫堅だったという一説もあったりする。
 実は異国語がベラベラでネイティブだったりする。字は文台(ブンダイ)となっているが、本人曰く元々はスティーブンだった本名がブンディーとなり、結局文台に落ち着いたのだ、と譲らない。