短期集中隠居気味小説 「胡蝶、緋に立つ君へ」序


生涯でたった、ひとり。
―喬
 わたしのことを、"ほんとうのなまえ"でよんでくれたのは、あのひとだけでした。
―きょうせい。

かつて、彼が駈け抜けていった曠原がまだ若く蒼茫としていた頃、
自らが望んだかのように「江東の猛き虎」という異名でその身を飾り、そのすべてが
戦と共に在った生命を燃やし尽くしていたかのようだったあのひとは、

―喬
夜に時折、切なくなるような声でわたしを呼びました。

―あのひとが、短い生涯の中で初めて識った女性の名前。

その名前は わたしの名前でもあり、
彼が永年追い続け、そして求め続けた、この世にただ一頭の胡蝶の名前でもあったから。