【Episode:4】
【飛翔亭から】
 アレスが、この日夕刻頃近所の先輩錬金術士、マルローネに示されたままに路地をたどって行くと、
徐々に末広がりになり俗に言う“中央広場”に繋がる通りに出た。
 日が暮れる前というだけあり、昼過ぎから人を集めていたらしい楽隊が片付けを始めていた。
 噴水の淵に座ってまどろんでいた老人たちは家路に着くために重い腰を上げ、子供たちは夕食を楽しみに我が家を目指し四方八方に散る。
 通常であればここで、賑やかな街の一日は終わる。
 しかし、

―“ザールブルグの大人たちの時間”はこれから始まるのである。

「…ここかな」
―“飛翔亭”
 アレスはマルローネに言われた店の看板らしきものが下がっている酒場を見付けたが、直ぐには中に入らず、ぼうっと看板を見上げて立ちすくんでいた。
当たり前といえば当たり前だが、彼は未だかつて一人で酒場に入った事が無かったのである。
何人かの中年男のグループや、見るからに酒好きそうなふくよかな顔の爺さんが彼の横をすり抜けて店に入って行くのを目で通しながら、自分は場違いじゃないのかという気持ちにならずには居られなかった。
(…やっぱり、お酒飲めないと入れないよね…こんなお店)
そう考えて苦笑いした後にその店に背を向けようとしたが、一人の男の声に動作は止まった。
「…ん、君、どうした?初めて見る顔だけど」
呼びかけられたので驚いて見上げてみると、金髪を五分刈りにした体格の大きい、見るからに人の良さそうな男が話しかけていた。
皮と合金の鎧を衣装のように見せかけて着込んでいる。
「…お兄さん、常連さんなんですか?このお店の…」
「うーんそうだな、2〜3日に一遍は来てるかなあ。…って、君は?お父さんのお迎えか何かか?」
今のアレスはこの男が言うとおリ、見るからに”飲んだくれお父さんのお迎え”という言葉が似合っていた。
「あ、いえ…その。このお店の中で、錬金術に関する依頼を斡旋しているって…聞いたもので…」
軽々しくまだ世評に受け入れられていない錬金術という言葉を出して良いものだろうかと思ったが、この男は雰囲気的に話しても大丈夫だろうと思ったのである。
「ああ、斡旋?やってるやってる。するとなんだ?君は錬金術士か?」
錬金術士、と言うよりは。
「…えぇと、まだ見習にも至らないというか…」
言い終わる前に図体のでかい男はアレスの背中を軽く押しながら店の中に入って行った。
「まあ、店の前に立っとくだけもつまんないだろ?ノンアルコールもあるから、入んな。この店、酒だけじゃないんだ。」
やけに人懐っこい男だった。
カラン、とドアの前で軽い音がしたと同時に、外との夕暮れの静けさを反転させたような人の熱気がむん、とこみ上げて来た。
「おぅ、いらっしゃい!」
カウンターに立っていたマスターらしい男が、すぐさま声をかけてくれた。
「お、ハレッシュ、お前か。…今日は何にする?」
アレスを店の中に入れた男の名前は、どうやらハレッシュというらしい。
「おじさん、俺にはいつものを頼むよ。…この子には…えぇと…何がいい?」
そのままズバッと言えれば格好が良いのだが、この人の良さそうな男には無理だった。
「…そういえば初めて見る顔だな。じゃあ、まあヨーグルリンクにでもしとくか?」
「あ、じゃあ、…それでお願いします」
聞いた事が無い飲み物だったが、挨拶の意味も兼ねて頭を下げた。


「じゃあ、ハレッシュさんは冒険者の護衛で生計を立ててらっしゃるんですか?」
ハレッシュはアレスのヨーグルリンクより早く運ばれて来た樽酒をかっ食らいながら頷いた。
「ああ。君みたいな錬金術士が森とかに材料の採取に行く時とか、行商人とかかな。たまに宗教者の護衛もする。」
「…へえ」
錬金術士は森とかにも行くのか、もしかして川とか山とかにも行くのか?ということを何となく巡らした。
そんな折、先ほどのヨーグルリンクが運ばれて来た。
「そら、ヨーグルリンク、お待ちどう。うめえぞ?」
ここのマスターのお墨付きらしい。
「い…いただきます」
奇妙な形の瓶に入っている上、ヨーグルトでもなければミルクでも無さそうで、どろどろした液体だったが、興味を引く飲み物であるという事は一目でわかった。
「…おいしいですねこれ!」
アレスが嬉しそうにマスターに顔を向けると、ウィンクで返して来た。
「だろ?…実はな、それは錬金術士に発注して作ってもらってるんだ」
意外な事をあっさりと言われたので驚いてしまった。
「え…錬金術士って、飲み物も作れるとは知ってましたけど…こんなものまで作れるんですか!?」
マスターは酒を混ぜる手を休めないまま話を続けた。
「らしいぜ、俺もよくは知らなんだが。これもフレアが錬金術士に頼んだもんだ。チーズとかもたまに持って来てもらってる」
アレスにとっては意外な返事だった。
薬とか金属だけでなく、こういう風に普通に庶民の店にメニューとして出す事が出来る食べ物まで錬金術士は作り出すのか、と。
「そういえばおじさん、フレアさんは!?…今日店番じゃないんですかぁ?」
眉毛を八の字にしてがっくりしているハレッシュに、マスターはしてやったりという表情をした。
「お前な、マスターと呼べつってんだろ?…まあいいが。別に、フレアの店番はお前が来る日を避けてるワケじゃねえから安心しな」
「…ホントですかあ?」
“フレアさん”という女性がカウンターに出る事もあるのだな、とアレスはおぼろげに理解した。
情けない声を出して酒を含むハレッシュをよそにマスターに話しかけた。
「…あの。この酒場って、錬金術士に仕事を斡旋してるって伺ったのですが」
「あぁ、仕事か?もしかして…お前さんも錬金術士か?」
まだアカデミーでの授業も始まってはいなかったので正確には“そうです”とは言えなかったが、この場は頷くのが良いと思った。
「そうか!それじゃあ…今日はウチにはこれだけ仕事の依頼が来ているが、どれか引き受けてみるか?」
そう言いながらマスターは壁に下がっていた茶色のコルク板の表が見える様にこちらに向けた。
すると、4つほど何か依頼らしい事が箇条書きにされていた。
『・生きてるナワ×3 期限25日 銀貨800』
『・シャリオチーズ×3 期限15日 銀貨400』
『・コメート×1 期限20日 銀貨2000』
(……あー…)
それを見上げたアレスは、暫く開いた口が塞がらなかった。
調合の仕方ばかりか、名前すら知らないものもあった。

「…マスター、実は僕、今年アカデミーに入学が決まったばかりなんです。はは…やっぱり僕にこなせる仕事はまだ全然無さそうだ…」
そう失笑しながら彼が一番下の依頼を見た時、今度は言葉も止まった。


『・オニワライタケ×7 期限10日 銀貨200』。

マスターはその項目を指で差した。
「でも、新参のお前さんでも男で体力が普通にあれば、一番下のはこなせるだろ。オニワライタケは俺でも知ってるぜ」
「そうだなあ。それなら近くの森で日帰りで収穫出来るんじゃないか?」
そう続けたのは飲んだくれた筈のハレッシュだった。
ヨッパライの一般人でも知っているオニワライタケ、アレスもそれの名前と姿は一致していた。
お金の無い彼に銀貨200枚は相当な金額である。
「…これなら出来るかも…」
「そうか。…なら、どうする?」
マスターにそう言われたアレスは、知らないうちにカウンターに半身乗り出していた。
「それはやった方がイイ!うん、俺が錬金術士なら絶対引き受けてる」
頭をフラフラさせながらハレッシュが背中を押した。
アカデミー入学式まで、まだ6日ほどあったので、日程的にはまだ余裕がある。
彼は意を決した。
「マスター、そのオニワライタケの依頼、僕が引き受けます!」
 そう言われてニヤッと笑ったマスターは、一番下の依頼を貼りつけていた紙をはがし、その裏に流暢な字で“予約済”と書いた。
「よぅし。じゃあ、お前さんの名前を教えてくれ」
「…あ、アレスです。アレス・ハンデルト…」
彼の名前を聞きながら、その予約済の横に書き込んだ。
「期限は10日だ。じゃあ期限内によろしく頼むぜ。」
「…あ、はい…」
返事をした直後、アレスは別の問題に直面した事に気が付いた。
(…そうか。)
「…採取に行くとき、護衛とかも頼まなきゃいけないんだった…どうしよう」
ハレッシュの方を向くと、彼は何故か申し訳なさそうな顔をしていた。
「あー…悪い。知り合いになったよしみで君を護衛してやりたいんだが…生憎俺、明日から別の護衛があってな…」
少々残念だったが、気にもして無いように彼は微笑した。
「いえ、気にしないで下さい。これから何とか…そういえばハレッシュさん、僕が仮に後日、あなたに護衛をお願いするとしたら、賃金謝礼としては銀貨どのくらいなんですか…」
「んー?俺か?…えーと、通常なら一回につき銀貨150ぐらいか…。でも君とか、仲のイイ錬金術士なら120でいいかな」
(ひゃ、120!? 高!)
 アレスは思わず眉根を寄せてしまった。
 その気休め程度の割引は何なんだと思った。
「…そうか。君も近くの森にいかないといけないんだな。でもあそこらへんなら、護衛一人で十分じゃないかな。えぇと…おぉ、ルーウェン!」
(一人?…そうか、遠いとこだったら二人以上雇わないと…うわぁ…)
二人雇うとなると、かかる賃金も2倍である。
予想以上にお金のやりくりが大変である事に気が付いたアレスをよそに、ハレッシュは一人の冒険者らしい男に声をかけた。
彼よりも歳若く、どっちかというとアレスに近い。
近所の錬金術士マルローネも、このハレッシュもそうだったが、今歩み寄って来た男も金髪だった。
彼が生まれ育った地ではまずこんなに頻繁に見かけなかったので、結構神秘的に見えたりした。
「お、兄さん今晩和!え、なに?護衛?」
「あぁ。…この錬金術士君が、近くの森に行くらしいんだ。俺は生憎明日から仕事なんでな…どうだ。お前引き受けてやってくれないかな?賃金サービスしてさ」
そう聞いた途端、ルーウェンと呼ばれた少年は口笛を吹いた。
どうやら、彼も仕事が欲しかったようである。
「やった!オッケー、へっへ、俺にまかしときなよ。よっし、銀貨80でイイや。で、いつから?」
銀貨80なら払えるかなと思った。
「えっと、…明日から、でいいでしょうか。朝10時くらい。中央広場の噴水前に…」
「よし、明日朝10時・噴水だな?俺ルーウェンってんだ。そんじゃよろしく」
「はい、僕、アレスです。宜しくお願いします」
彼はザールブルグに来て、自己紹介を何回したかそろそろ分からなくなった。

 アレスはこの日、雑略ではあったが依頼の受け方と、外に採取に出る際の護衛の頼み方を知った。



明くる日、中央広場の公園に向かう道でアレスはたまたま、先日シグザール城前でイチャモンを起こしていたダグラスに会った。
「おぅ、アレスじゃねえか!久し振り!」
「あ、ダグラスさん!お早うございます」
アレスからこれから近くの森に行く事を聞かされたダグラスは、感心して腕を組んだ。
「―へー…俺も頑張んねえとな。よっし」
「ダグラスさんも今日は何処かに?」
彼はそう聞いてニヤリと笑った。
「おぅ、ヘーベル湖によ。あそこはどうやら、おもしれえ生き物がいるらしいから捕まえに行こうと思って。お前も今度行こうぜ。その錬金なんたらの材料が見つかるかも知れねえしよ」
アレスは、ザールブルグに来る前は家の仕事柄草原にいる事が多かったものの、元来は出不精だった為、ダグラスやルーウェンといったような冒険好きな神経を羨ましく思った。


2日後、
森から街に戻り再びあの酒場“飛翔亭”に向かったアレスは、受注したオニワライタケを納品して初めて銀貨を獲得した。
ただ、
納品自体は早かったから良かったものの、品物自体に大きさのばらつきがあった様で5%ほど報酬をマイナスされた。
しかも、
森には狼やらモンスターがいっぱいいる上、護衛がルーウェン一人だけだったので最後には日帰りで敗走してしまったのである。
一人だけ雇って日帰りで敗走するよりも、二人雇って遠出した方が良さそうだ、という当たり前の事にやっと気がついた。

そして、彼の長い錬金術を極める為の材料採取の数多くの百戦錬磨の長い冒険は、ここから第一歩を踏み出す事になる。








【Episode:4/飛翔亭から】 終