【Episode:3】
【アレスの工房から】
「まあ、アカデミー生徒用工房とはいえ、調合に必要最低限の器具は一応揃っていますから」
新しく住む事になった工房の鍵を事務から渡された時、係のおばちゃんからそう言われた。

片手荷物でザールブルグにやって来たアレスには大掛かりな"引越し"は無かった。
「なんか…大きい家だなあ…。」
自分に与えられた工房が2階建てとはよもや思わなかった彼は、屋根を見上げた顔を
元に戻せなかった。
表玄関から鍵を開けて入れば良かったのだが、ゴミなどを出す裏口から静かに入りこむのを
選んだのは何となく大人しい彼らしい行動であった。
「……へぇー、」
調合を行う工房と思われる家の一階には、自分の背丈近くはあろうかと思われる
大鍋と、それを火にかけられる竈があった。
そして結構の年数使われていたような戸棚には、当時まだ稀少の部類に入っていた
ガラス製品のビーカーやフラスコなど。
 その横の本棚には、読んだ事も無さそうな見た目だけでも難しそうな書物が
数冊続きもので並んでいた。
何故その場所に置きっぱなしになってるのかは不明であるが、恐らくそれは生徒のではなく、
アカデミーからの共有物なのであろう。
 今のところ錬金術に関しては具体的な事は何一つ知らなかったが、そのような錬金術の
アイテムを見ただけで、アレスの心は喚起させられた。
「…でも」
周りを見まわした後そう呟いた。
「部屋の掃除が先だな」
彼の前の住人が清潔に無関心だったのか、それとも数年間住む者がいなかったのか
今日から彼が住む工房はノータッチと言って良い程埃もかぶり、散らかっていた。
箒やら雑巾のある場所を探しに2階に登って行った。

工房の2階には意外と綺麗なベッドとあんまり使われていない箪笥、
そして話には以前父から聞かされたことがあったが、現物は見た事が無かった
"地球儀"という大きな球体が据えてあった。
「……。」
アレスは興味半分でその地球儀を手で回し始めた。
回すたびに、大陸とそれを取り囲む海が交互に視界に入って来た。
今自分のいる場所はどこなのだろう、とか調べてもどうにもならないような事を
ぼんやり考えつつ。

数分後、その手は止まった。
「う……。き、気持ち悪…。」
アレスは地球儀を回し過ぎてくらくらしてしまった。
自業自得である。

それから、2時間ほど経っただろうか。
取り敢えず家の埃払いだけは何となく終わらせる事が出来た。
どうやら彼の今晩寝る綺麗な場所は一応確保出来たようである。
「もういいや。続きは明日…」
彼が一息ついたのも束の間。

ズズズズズズズズーン!
激しい音と共に、地響きの様な揺れを感じた。
アレスは思いきり尻餅をついてしまった。
「えっ。じ、地震!?」
一気に目が覚めたような表情をし、表のドアから半分体を乗り出してみた。
しかし、その揺れは続かずにほんの一瞬であった。
3軒横の家の窓から白い煙が昇っていたが、あとは何ら変わらぬ街並みだった。
しかもあれだけの地響きが起こったにも関わらず、通りを歩く人達は平然としていた。
「…あれ…。今確かに、さっき」
玄関のドアを開けた状態でその場に立ちつくしたままアレスが呆然としていると
目の前の通りを歩いていくおばさんがいた。
「ま、…今日の爆発は比較的静かだねえ」
その時漏らした何気ないおばさんの独り言を彼は聞き逃さなかった。
―静かだって!?
「すいません!い、今さっきのはまさか、地震じゃあないんですか?違うんですか?」
物凄い慌てぶりでいきなり引き止められたそのおばさんは思わず苦笑した。
「…あんた、新入りかい?…ああ、違うよ。あそこに煙が出ている家があるだろう?
あそこに錬金術士学校の生徒が住んでるんだ。女の子なのに矢鱈に爆弾とかが好きでねえ。
良く新作爆弾の実験とかやってるらしいよ。…物騒ったらありゃしない。まあ、もう慣れたけどね。」

そんな事をさらっと言い流して去っていくおばさんを尻目にし、アレスは何となく
錬金術士という言葉に興味と微妙な不安感を同時に覚えた。
(…あそこにも錬金術士って住んでるんだ。)

「うぇー!失敗だよ、失敗!やっばーい!」
その時、今こそ話題にしたばかりの爆発が起こった家のドアが勢い良く開けられた。
部屋中に充満していたと思われる物凄い量の白い爆発煙が開けられたドア奥から漏れ、
屋根先辺りまで登って行った。
「だだだ、大丈夫ですか!」
アレスは、煙と同時に外に出て来た煤塗れの人物のところに急いで駆け寄った。
「あーあ、もう〜。燃える砂から作り直しだよ〜…とほほ。…え?君、何か用?」
あれだけの爆発が起こったにも関わらず、当の事故の真っ只中にいたその人物は
何故か平然としていた。
「な、何か用、って…。いや、その…爆発があったから大丈夫かな、って」
相手は姿を見る限り、恐らくアレスよりも幾つか年上の少女だった。
「ああ、平気、こんな事しょっちゅうだし全然。気にしないで。」
そう明るく返事を返して来たその少女に、思いきり見覚えがあった。
「…あの…そういえばこないだアカデミーにいらっしゃいましたか?」
「え、私?居たけど。君、もしかしてアカデミーの生徒?」
アレスはそれに分が悪そうに返事した。
「あの、僕、今年からアカデミーに入学するんです。その時合格発表の日に
職員室辺りにあなたが確かいらっしゃった気が…。」
―確か、部屋のドアを爆弾でぶっ飛ばし、先生からマルローネと叫ばれて
お灸を据えられて居た様な気が。
「あー、そしたら後輩になるのね。ていうか、ははは!若しかしてアタシ、
失態を見られた!?」
「あの……失態というか…その、爆弾でドアを派手に」
その少女は腰下までありそうなプラチナの長い髪を一遍はらって、にっこり笑った。
「アレは私、良くやらかして先生に怒られてんのよ。ぜーんぜん気にしないで」
気にするなといわれても、入学試験以外で初めてまともにアカデミーに立ち入った
その日にあんな爆発を見てしまった身分としては気にしないでと言われる方が無理があった。
「…そうなんですか。」
「あ。ねえねえ。君、若しかして今"カノーネ岩"とか持ってない?」
カノーネ岩。名前と姿に覚えがあった。
聞かれるがままアレスは答えた。
「…多分、僕の工房に前住んでいた方が置きっぱなしにしていたのが転がってたと」
言い終わる前だった。
「お願い、それ、アタシに売って!ひとつでイイから!」
まともに言い終わる前に彼は頼まれ事をしてしまった。
アレスはまだアカデミーでまともな講義は始まっていないし、まだ
アイテム確保には急がなかった。
「あの。それは全然いいんですけど。お金も要らないし。でも、何でひとつだけ…」
「アタシ、マルローネっていうの。クライアントから爆弾の注文受けてたのよ。
でぇ、今それが失敗しちゃったからイチからまたやんないといけないのよ。
今からやればギリギリ間に合うけど"カノーネ岩"が確か足りるか足りないかってぐらい
切り詰めちゃってたから微妙なのよ。採取に行く時間も無いし。…
だからお願い、売って!」



―それから数分後。
その工房に転がっていたカノーネ岩を布に巻いて、アレスがマルローネのところに
戻って来た。
「…何か、触ると熱いですねこれ。」
マルローネは笑いながらそれに答えた。
「ああ、そりゃあそうよ。そのままでも燃えるんだもん。なもんで多分、
布に包まない方が良いわよ。そこから火が出るから」
「えっ!?」
アレスが慌てて手渡したそのカノーネ岩を、マルローネは大事そうに受け取った。
「あー、でも良かった!助かったわ、ありがとう!…えぇっと、君の名前…」
「僕はアレスって言います。アカデミーに行きながら仕事をしようと思って工房暮らしを
させてもらえる事になったんです。宜しくお願いします。」
「へぇー…!よろしくね。わたし、マルローネ。でも…あのさあ。何で君、アカデミー行きながら
わざわざ仕事するのよ?」
きょとんとした表情で聞かれた。
「あの…多分、寮より工房暮らしの方が仕事しやすいかなあ、なんて思ったものですから」
彼女には、これ以上わざわざアレスに仕事をする理由を聞く意味も理由も無いだろうと思った。
「仕事ねえ。仕事…。えぇと、私の知ってる限りじゃね、この近くに仕事を斡旋してくれる
酒場があるの。比較的錬金術で賄える内容が多いから君も錬金術を覚えたら、時々
行ってみたらイイんじゃないかな?」
初めてマルローネという少女からお金になる話を聞かされて、アレスは水を得た
魚の様に表情が生き生きとし始めた。
「あ、ありがとう御座います!へー、仕事って、酒場から斡旋して貰えるんですね!
…わー、早く学校が始まらないかな。調合、早く覚えたいや。」
「あ。でも採取とかの依頼だったら、まだ錬金術出来なくてもこなせるんじゃない?
行くだけでも行ってみたらイイよ。マスターの話とか聞くだけでも、多分面白いから。」


アレスは、調合で部屋にこもる前のマルローネから簡単な地図を書いてもらうと、
ほぼ街の中心になる中央広場の近くの"飛翔亭"という冒険者達の集まるという酒場に
足を向けてみる事にした。








【Episode:3/アレスの工房から】 終